『車輪の下』ヘルマン・ヘッセ著
大寒とはよくいったものである。
大いに寒い。
ひねもす雨。
床屋に行く。
ヘッセを読む。
これで私の一日は終わり。
中学生のころに読んだので(なぜ、これを読んだのだろうか)
細部の記憶はほとんどない。
勉強の重圧に負けて自殺してしまう少年の物語だ
と思い込んでいたが(記憶はつくりかえられるという)、
長い歳月を経て読み返してみると、
作品はまた違った顔を見せてくれる。
結末は自殺でも事故死でも
どちらに解釈してもいいように書かれていた。
自殺者年間3万人の現代、
苦悩と孤独のうちにいる人間とって、
死は魅力的に映るようだ。
ハンスもそうだった。
「この苦悩と孤独のなかで、別の亡霊が偽りの慰め役となって病める少年に近づき、しだいに少年と親しくなって、離れがたいものになってしまった。それは死の思いであった。」
ハンスは死に場所を決めて、父親と友人にあてた手紙を書く。
すると、こんな気持ちになる。
「いろんな準備をととのえ、覚悟を決めてしまったら、心がすっかり軽くなった。自分の運命を決める例の枝の下に何時間もすわっていると、重荷をおろしたようで、胸の晴れるような快感におそわれた。」
死を考えることで、心が自由になるのなら、そうすればいい。
ただ、そう簡単なことでない。
養老先生のよくする話にこんなのがある。
樹海で自殺しようとした人が首をつった瞬間、
その枝が折れて、その人は地面に落ちてしまった。
その人、いわく「死ぬかと思った」
ことほどさように死を考えるのは難しい。
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